東京地方裁判所 昭和49年(行ウ)147号 判決 1982年11月24日
東京都豊島区千早町一丁目四五番地
原告
飯野幸二
右訴訟代理人弁護士
小林亮淳
同
福地絵子
東京都豊島区西池袋三丁目三三番二二号
被告
豊島税務署長
小林實
右指定代理人
野崎弥純
同
池田春幸
同
渡部康
同
鴨下英主
同
吉岡光憲
同
加藤広治
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和四八年二月一二日付で原告の同四四年分ないし同四六年分所得税についてした各更正及び各過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二請求原因
一 原告は、事業所を当初東京都新宿区新小川町一丁目一二番地に、昭和四六年一二月ころからは同区山吹町二〇六番地にそれぞれ置き、製本業を営む白色申告者であるが、同人の同四四年分ないし同四六年分所得税(以下右各年度を「係争各年」という。)についての各確定申告、各更正及び各過少申告加算税賦課決定(以下右の各更正を「本件各更正」と、同各賦課決定を「本件各賦課決定」という。)並びにこれらに対する不服申立ての経緯は、別表一、(一)ないし(三)記載のとおりである。
二 しかし、本件各更正は、次の理由により違法であり、従って、これを前提とする本件各賦課決定もまた違法である。すなわち、
1 更正は、適正な調査手続によって得られた調査資料に基づいて行なわれなければ違法というべきところ、本件各更正は、何らの調査に基づくことなく行なわれた見込課税であるから違法である。また、仮に、本件各更正が調査資料に基づいて行なわれたとしても、右調査資料は次のような違法な調査手続によって得られたものであるから違法である。まず、本件税務調査は原告の確定申告を疑うべき合理的理由、すなわち、調査理由がないのに行なわれた点において違法であり、また、仮に、右理由が存したとしても、原告に対し調査の理由その必要性を何ら告知説明することなく一方的に行なわれた点において違法である。さらに、本件税務調査においては、原告の得意先に対し反面調査が行なわれているが、右調査方法は、納税義務者本人に対する適正な調査によって許されるものというべきところ、本件税務調査においては、右のように原告に対し調査理由と必要性を明らかにして調査への協力を求めることなく、直ちに反面調査を行なったものであるから、この点においても本件税務調査は違法といわなければならない。
2 本件各更正には、原告の所得を過大に認定した違法がある。
三 よって、本件各更正及び本件各賦課決定はいずれも違法であるからその各取消しを求める。
第三請求原因に対する認否及び被告の主張
一 請求原因に対する認否
1 請求原因一の事実は認める。
2 同二のうち、被告が本件税務調査において反面調査を行なったことは認めるが、その余の主張は争う。
3 同三は争う。
二 被告の主張
1 本件税務調査に原告主張の違法はない。すなわち、
(一) まず、本件税務調査の理由であるが、被告は、原告が提出した昭和四五年分所得税の確定申告書に所得金額の記載があるだけで、当然記載されるべき収入金額と必要経費の記載がなく、また、収支計算書等の添付もなかったので、右申告所得金額の算出が正確であるか否かを確認する必要があり、同時に、原告は、同年九月ころ鉄骨造り三階建の自宅を新築していることからその資金源と所得との関係を明らかにする必要があったのであるから、これらによれば本件税務調査の理由が存したことは明らかである。
(二) 次に、調査の経緯であるが、まず、被告所部職員の宮田勝徳が昭和四六年一一月一一日原告の事業所へ臨店したところ、不在であったため引き続き調査日時の調整を図ったが、原告事業所の移転等の原告側の都合により調査に着手できないでいた。その後、右調査事務を引き継いだ同職員伊藤始男は、同四七年八月二四日身分証明書及び検査章を提示して臨店したのをはじめとし、同年九月六日及び翌四八年一月一二日にも原告事業所へ臨店し、いずれの機会にも原告に対し前項記載の調査理由を告げ、帳簿書類の提示を求めたが、原告は、申告内容の誤りを具体的に指摘するように求めたり、原告が日時を指定した前記九月六日の調査時には予め調査時間を三〇分と限定したうえ、調査の際には、民主商工会事務局員及び同会員ら合わせて一三名を実質六畳程度の広さの室内に立ち会わせ、口々に調査に対する抗議、暴論を繰り返したり、さらにはテープレコーダーを持ち出すなどして騒然たる雰囲気とし、被告職員の帳簿書類の提示の求めに対しては、前記の調査理由では不十分であるとし、さらに具体的な理由を明らかにするように求めたり、質問検査権の該当法条の告知を求めるなどして、結局調査に応じなかったものである。このため、被告は、原告の所得金額を実額で算出することは不可能であると判断し、原告の取引先調査によっては握した資料を基礎とする推計により所得金額を算出し、本件各更正をしたものである。なお、原告は、審査請求の段階において、始めて必要経費に関する帳簿書類を提出したものである。
従って、以上のような経緯に照らすならば、被告が原告に対し税務調査を行なったのは当然であるし、また、これに対する原告の非協力的な態度からするなら、反面調査の方法を採らざるを得なかったことは明らかであるから、本件税務調査に原告主張の違法はない。
2 課税根拠
(一) 原告の係争各年分に係る総所得金額及びその内訳並びに算出根拠は、別表二ないし四記載のとおりである。
(二) 係争各年分のうち、接待交際費及び福利厚生費は推計の方法で算出したものであるが、右推計の必要性と合理性は次のとおりである。
(1) 推計の必要性
被告が右の各経費につき推計の方法によらざるを得なかったのは、前項(二)に述べたように、原告が被告の税務調査にまったく協力せず、かつ、帳簿書類を一切提示しなかったため、原告の所得金額を実額で算出することができなかったためである。ところで、原告は、審査請求の段階で係争各年分の必要経費に関する帳簿書類を提示したが、このうち、接待交際費及び福利厚生費に関する帳簿類は、家事上の経費の混入、相手方不明のもの及び領収証のないもの等が多数あり、その信頼性に欠けるため、右各帳簿類に基づき実額で右の各経費を算出することはできず、本訴においても推計の方法によらざるを得ないのである。
(2) 推計の合理性
推計の方法は、原告の事業所を管轄する四谷税務署管内及び同署に隣接する小石川税務署管内の製本業を営む個人の青色申告者で、事業規模が原告と類似している同業者の売上(収入)金額に対する平均的な接待交際費率及び福利厚生費率を算出し、これを原告の係争各年の売上金額に乗じて右各経費を算出する同業者比率法である。
被告は、前記各税務署管内の納税者のうち、原告と同種同規模の納税者として、次の要件をすべて充足する者全員を抽出した。
<1> 製本業を営む個人事業者で、係争各年につき所得税の青色申告書を提出している者
<2> 暦年事業を継続し、かつ、事業所得金額が所得諸控除の合計額を上回る者(以下「有資格者」という。)
<3> 更正又は決定が行なわれた者で、現在、国税通則法に基づく不服申立ての審理中又は訴訟係属中の者以外の者
<4> 総収入金額が次の要件を満たす者
昭和四四年分については、年収二六九万円以上一、〇七六万一、〇〇〇円以下
同四五年分については、同三四四万八、〇〇〇円以上一、三七九万三、〇〇〇円以下
同四六年分については、同三五二万八、〇〇〇円以上一、四一一万五、〇〇〇円以下
以上の各要件をすべて充足する者として抽出した同業者全員の総収入金額並びに接待交際費及び福利厚生費の詳細は別表五記載のとおりであるから、これに基づき係争各年の接待交際費率及び福利厚生費率の平均値を求め、これを係争各年の総収入金額に乗じて右各経費を次のとおり算出した。
<省略>
算式
<省略>
A 総収入金額(円)
B 接待交際費率(%)
C 福利厚生費率(〃)
A×B 接待交際費(円)
A×C 福利厚生費(〃)
なお、右の各経費率は小数点以下第三位を、各経費は小数点以下をそれぞれ切り上げて算出した。
以上のとおり、原告の同業者として抽出された者は、業種、業態、事業規模及び立地条件において原告と類似している者であるから、被告の行なった推計には合理性がある。
第四被告の主張に対する認否及び原告の主張
一 被告の主張に対する認否
1(一) 被告の主張1の冒頭の主張は争う。
(二) 同1、(一)の本件税務調査の理由は争う。
(三) 同1、(二)のうち、被告職員がその主張する日に原告事業所へ臨店したこと、調査の際、原告が申告の誤りを具体的に指摘するように求めたこと、昭和四七年九月六日の臨店調査の際、民主商工会事務局員らが立ち会ったこと及びその際テープレコーダーを持ち出したこと並びに審査請求の段階で必要経費に関する帳簿書類を提示したことはいずれも認めるが、その余は争う。
2(一)(1) 同2の別表二、一のうち、(2)及び(6)は認めるが、その余は争う。
(2) 右別表二、二、1のうち、(7)については一、四五四、三七四円を超える部分並びに(23)及び(24)については争い、その余はすべて認める。
(3) 右別表二、二、2のうち、(7)及び(12)は争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四四年中に支出した福利厚生費及び接待交際費の額は、原告記帳のとおり合計四三五、八五二円である。
(4) 右別表二、二、3のうち、(1)は争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四四年中に支払った給料は、被告が認容した右(1)の八四万円のほか雑給七二六、五〇〇円の合計一、五六六、五〇〇円である。
(二)(1) 同2の別表三、一のうち、(2)は認めるが、その余は争う。
(2) 右別表三、二、1のうち、(1)については二、六七八、九〇六円、(4)については一二九、七一〇円及び(21)については二二、〇〇〇円をそれぞれ超える部分並びに(8)については争い、その余はすべて認める。
(3) 右別表三、二、2のうち、(4)、(6)及び(11)については争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四五年中に支出した旅費・交通費は被告の認容した右(4)の四一、九七〇円のほか三〇、〇〇〇円の合計七一、九七〇円であり、福利厚生費及び接待交際費は原告記帳のとおり合計八六六、六〇五円である。
(4) 右別表三、二、3のうち、(1)及び(3)は争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四五年中に支払った給料は被告が認容した右(1)の八二六、〇〇〇円のほか一、一二九、〇〇〇円の合計一、九五五、〇〇〇円であり、地代・家賃は被告が認容した右(3)の二〇〇、〇〇〇円のほか五六、〇〇〇円の合計二五六、〇〇〇円である。
(三)(1) 同2の別表四、一のうち、(2)は認めるが、その余は争う。
(2) 右別表四、二、1のうち、(2)については四七八、三四〇円及び(6)については二一三、八四〇円を超える部分並びに(16)については争い、その余はすべて認める。
(3) 右別表四、二、2のうち、(6)及び(11)は争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四六年中に支出した福利厚生費及び接待交際費は原告記帳のとおり合計一、〇九四、〇二三円である。
(4) 右別表四、二、3のうち、(1)は争い、その余はすべて認める。
なお、原告が昭和四六年中に支払った給料は被告の認容した右(1)の八〇八、五〇〇円のほか九三一、五〇〇円の合計一、七四〇、〇〇〇円である。
(四) 同2、(二)のうち、原告が審査請求の段階で必要経費に関する帳簿書類を提示したことは認めるが、その余は争う。
二 原告の主張
1 本件各更正の手続的違法
(一) まず、本件税務調査の経緯であるが、被告職員伊藤が最初に原告事業所に臨店した際の状況についてみると、同人は事前の連絡もしないで突然現われ、身分証明書及び検査章の提示をしないばかりか、いつの年分の調査かも明らかにしなかったため、当時作業中であった原告は同人に対し、予め連絡のうえ改めて来て欲しい旨告げた。すると、同人は、帳簿書類の提示も求めないで退去したものである。
次に、右伊藤の第二回目の臨店時の状況であるが、原告及び民主商工会の会員らは同人に対し税務調査の目的、理由及び確定申告の誤りについて指摘を求め、納得のいく説明があれば帳簿書類を提示する用意があることを明らかにしたにもかかわらず、右伊藤は、何らの説明もしないで調査を打ち切ったのである。そして、その際同人は、原告に対し反面調査をしないことを約束したのであり、右二回目の調査が騒然たる雰囲気の中で行なわれたようなことはなかった。被告は、原告が民主商工会の会員の立会いを求めたことやテープレコーダーを用意した点を非難するが、そもそもかかる税務調査は任意調査であるから、原告が第三者の立会いを求めたからといって何ら違法となるものではないし、テープレコーダーを用意したことが調査を不能ならしめるものではないのである。
さらに、被告が反面調査権を行使した点であるが、反面調査権の行使は納税義務者以外の第三者に対する調査である点において納税義務者の営業等に不測の損害を及ぼすおそれがあり、従って、その行使に当たっては慎重でなければならず、原則として、納税義務者自身に対する調査がその調査への非協力等の理由により不能と認められる場合に限り、かつ、その限度で許容されるにすぎないと解すべきものである。本件においては、前記のように被告が原告に対し税務調査の目的、理由等を全く説明しなかったため、結果的に原告に対する調査ができなかったというにすぎず、納税義務者側に右の非協力等の調査を不能ならしめる理由は何も存しなかったのである。のみならず、前記伊藤は原告に対し反面調査権を行使しないことを約束していたのであるから、この点においても被告のした反面調査権の行使は違法といわねばならない。原告は、被告の右行使により、得意先に対する信用を失墜するなどの多大な損害を被ったものである。
(二) 申告納税制度は民主的課税方式として我が国の租税制度の中で重要な意義を有する基本的制度の一つであるから、国は、申告により確定した税額を尊重すべき義務があり、これを否定するには厳格な要件が必要である。そこで、国が申告を否定し得る要件、すなわち、更正の要件についてみると、国税通則法第二四条は調査により更正しなければならない旨を定め、納税者に対し手続的保障を与えている。従って、右調査を行なうためには、納税者の申告を疑うに足りる合理的な理由の存在を必要とするし、また、調査に当たり質問検査権を行使するには右の調査理由を開示することを要し、これがない以上、納税者は当然調査を拒否できるのである。これを本件についてみると、前項に述べたところからすれば、被告の原告に対する調査は右いずれの要件も満たしていないことは明らかであるし、前記のように反面調査権の行使もまた違法といわねばならないから、本件各更正は適法な調査によって得られた調査結果ないしは資料に基づかないで行なわれたものといわざるを得ないうえに、本件各更正時における所得金額算出の経緯も明らかにされていないのであるから、本件各更正は恣意的な見込課税といわねばならない。従って、本件各更正後に収集した資料に基づいて右各更正が維持されたとしても、右の手続的瑕疵は治癒され得るものではない。もし、このようなことが許されるならば、被告は理由もなく納税者の申告を無視し、適法な調査を怠り、見込みによって更正したうえで、後に納税者から処分を争われるに及んで資料を収集してつじつまを合わせるという不当が許されることになるのである。
2 被告のした推計について
(一) 被告は、接待交際費及び福利厚生費の二科目につき推計の方法による算出を行なっているが、原告は、右二科目につき正確に記帳経理し、かつ、右記帳の原始資料である領収証等も存するのであるから、右記帳に基づき実額で算出することが可能である。従って、この点において被告のした推計は違法である。
(二) 推計課税が適法とされるためには、推計の方法が合理的であり、かつ、推計の基礎となる数値が正確でなければならないが、本件推計は次のように右要件を満たしていない。
(1) 被告の行なった同業者の抽出は恣意的で合理性がない。
(2) 抽出に当たり、経費が多く無資格となった者が相当数除外されたため、結局経費の少ない者だけが抽出されたことになり、このような経費の少ない者だけから経費率を求める本件推計は不合理である。
(3) 被告は、製本業者全体から同業者を抽出しているが、製本業者の中には裁断業者、折本業者、貼込業者、丁合業者等多数の業態があり、それぞれにおいて経費率は異なってくるものであるし、また、経費率に大きな影響を及ぼす従業員数が考慮されていない点及び抽出された同業者比率にばらつきが大きいことからしても被告のした推計は同種同規模の原則に反している。
(4) 原告は、係争年度当時、仕事を始めたばかりで仕事を得るための交際費支出が多かった事情が考慮されていない。
第五原告の主張に対する認否、反論
一 原告の主張1及び2の趣旨はいずれも争う。
二1 原告は、被告職員が反面調査を行なわないことを原告に約した旨主張するが、このような事実がないのはもとより、被告職員は原告に対し反面調査を行なうこと、反面調査は所得税法第二三四条の質問検査権に基づいて行なうもので本人の了解を必要とするものではないことを告げているのである。そして、本来、反面調査をいつ、いかなる相手に対して行なうかなどの細目は権限ある税務職員の合理的判断に委ねられているのであって、納税者の同意、承諾を必要とするものではない。
2 原告は、被告のした推計は合理性を欠く旨主張しているが、被告は第三、二、2(二)に述べた抽出基準に従って抽出したものであるから同業者の抽出に当たって恣意の介在する余地はないし、抽出業者数が少ないのは右基準に合致する者が少なかったからにすぎない。さらに、原告は、従業員数を考慮していない点を不合理と非難するが、製本業者においては人的労務による附加価値が収入となるものであるから、同程度の収入を基準として抽出された同業者にあっては従業員数も同程度と推定されるのであり、右主張は失当である。
第六原告の再反論
被告は、製本業者にあっては同程度の収入があれば従業員数も同程度と推定される旨主張するが、右主張は製本業者の実態を認識していないというほかない。製本業者といってもその業務内容は多様であり、同程度の収入をあげるのに要する従業員数も異なってくるのであり、これを原告についてみると、原告が主に取り扱っているのはタイプ印刷であり、この種印刷は活版印刷に比べ同じ頁数の製本を行なうのに四倍の手間がかかるのであり、このことからしても被告の右推定は誤りといわねばならないのである。
第七証拠
一 原告
1 甲第一、二号証、第三号証の一ないし四、第四号証ないし第九号証(なお、第五号証の書込部分は根本正一の、第九号証の貸方欄の書込部分は原告の各作成に係るものである。)、第一〇号証の一の一ないし七三、同号証の二の一ないし八〇、同号証の三の一ないし一〇六、同号証の四の一ないし八六、同号証の五の一ないし一三四、同号証の六の一ないし一三八、第一一号証の一ないし四〇、第一二、一三号証、第一四号証の一、二、同号証の三の一ないし五及び第一五号証を各提出
2 証人松ケ谷匡男、同武田謙吾、同高橋守の各証言及び原告本人尋問の結果(第一回ないし第三回)を各援用
3 乙第一号証の二ないし二二の原告作成部分及び第二四号証の二、三の赤線枠内以外の部分については原本の存在及び成立をいずれも認めるが、その余の部分の成立は不知、第二号証ないし第四号証、第二四号証の一、四、第二五号証、第二八、二九号証、第三二号証の三、第四一号証ないし第四八号証の各二、第五〇号証の二及び第五一号証の各成立(第二四号証の四、第二五号証、第四一号証ないし第四八号証の各二及び第五〇号証の二についてはいずれも原本の存在も含めめ)はいずれも認める。その余の乙号各証の成立はいずれも不知
二 被告
1 乙第一号証の一ないし二二、第二号証なあし第五号証、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号証の一ないし三、第九号証ないし第二三号証、第二四号証の一たいし四、第二五号証、第二六号証の一、二、第七号証ないし第二九号証、第三〇号証の一ないし三、第三一号証、第三二号証の一ないし三、第三三、三四号証、第三五号証の一、二、第三六号証ないし第四〇号証、第四一号証ないし第四八号証の各一、二、第四九号証、第五〇号証の一、二及び第五一号証を各提出
2 証人伊藤始男、同笹原幸雄、同高津和三郎、同外山太郎、同杉本武、同新平重夫及び同藤井正信の各証言を援用
3 甲第五号証及び第九号証の各書込部分の成立は不知、その余部の成立はいずれも認める。その余の甲各号証の成立(第一〇号証の四の四及び同号証の六の一三六については原本の存在も含めて)はいずれも不知。
理由
一 請求原因一の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の手続的違法について判断する。
1 本件各更正に至る税務調査手続の経緯についてみるに、証人伊藤始男、同松ケ谷匡男及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、
被告は、原告提出に係る昭和四五年分所得税の確定申告書に所得金額の記載しかなく、他に右金額算出の経緯を明らかにする資料が何ら添付されていなかったため、右算出の正確性を確認する必要があり、また、原告は同四六年中に鉄骨造り三階建の自宅を新築していることから、これに要した建築資金の出所を確める必要があり、これらの理由から原告を所得税調査の対象に選出した。これを受けて被告所部職員宮田勝徳は、昭和四六年末ころ調査に着手したが、原告の不在及び事業所移転(原告が同年一二月ころ事業所を移転した事実は当事者間に争いがない。)等のため調査に入れないまま、調査は被告所部職員伊藤始男に引き継がれた。右伊藤は、昭和四七年八月二四日午後二時ころ原告事業所に最初の臨店をし、原告に対し身分証明書及び検査章を提示したうえ、前記二点の調査対象選定理由及び事業所移転に伴う権利金の授受が予想されることから税務調査に来た旨を告げて帳簿書類の提示を求めたが、原告は、既に確定申告済みであるとし、右帳簿類の提示には、まず、被告が申告の誤りを具体的に指摘すべきであるし、また、新宿民主商工会の都合を聞かなければ応じられない旨答弁した。そして、後日、右商工会の都合を聞いたうえ連絡する旨告げたので、前記伊藤は第一回の臨店調査を打ち切った。次に、伊藤は、原告から調査日時を同年九月六日午後零時三〇分から同一時までと指定する旨の電話連絡を受けたので、同日大島事務官を同行のうえ、右指定時刻ころ原告事務所へ臨店したところ、右事業所には、原告からの依頼を受けた前記民主商工会事務局員及び同会員ら一三名が参集し、調査に立会したため、前記の被告所部職員らは、右会員らの退室を求めたが聞き入れられず、実質六畳程度の広さの事業所内に、被告所部職員二名と原告、従業員及び前記民主商工会員ら一三名の合計一七名が入ったまま調査が開始された。そして、被告職員伊藤らは、前回同様の調査理由を告げて帳簿書類の提示を求めたが、原告は、申告の認りを具体的に明らかにしなければ提示には応じられない旨の答弁を繰り返す一方、後日の証拠にするとして、テープレコーダーを持ち出した。また、前記会員らは、右伊藤らに対し、原告の納税義務は確定申告により確定しているはずであるから調査は不要であるとか、或は、質問検査権の根拠規定を述べるように要求するなど口々に発言したため、結局、実質調査に入れないまま第二回臨店調査は同日午後一時一五分ころ打ち切られた。さらに、右伊藤は、昭和四八年一月一二日にも原告事業所へ第三回目の臨店をし、帳簿書類の提示を求めたが、原告はこれまでと同様の答弁を繰り返して提示を拒否した(以上の事実のうち、被告所部職員が原告事業所へ臨店した日付及び右臨店の際原告が申告の誤りを具体的に指摘するように求めたこと並びに伊藤の第二回目の臨店の際、新宿民主商工会事務局員らが調査に立ち会ったこと及びその際原告がテープレコーダーを持ち出した事実はいずれも当事者間に争いがない。)。
以上の各事実が認められ、右認定に反する前掲松ケ谷の証言及び同原告本人尋問の結果は、前掲証拠に照らして採用し難く、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
2 次に、本件各更正の経緯についてみるに、成立に争いない乙第二号証ないし第四号証、前掲証人伊藤の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告は、前項認定のように原告から帳簿書類の提示はもとより何らの協力も得られなかったため、前記伊藤の三回目の臨店後、直ちに原告の得意先に対して反面調査を開始した(右調査をした事実は、当事者間に争いがない。)。右調査は、当時既に原告の得意先であることが判明していたモリモト印刷株式会社が振り出した小切手から原告の取引銀行が三菱銀行江戸川支店であることを突き止め、右支店の原告名義の口座に手形、小切手等で入金された金額を調査し、これをもとに原告の係争各年分の売上金額を算出した。次に、所得金額の算出については、まず、六〇名程度の製本業者の中から原告と同規模程度の同業者五、六名を係争各年につき抽出し、これらからその平均的な経費率を算出(一般経費率並びに給料賃金及び外注加工費についての特別経費率を算出し、但し、家賃及び支払利息については実額で把握し得た金額)し、これを前記の係争各年の売上金額に乗じて右各年分の所得金額を算出し、本件各更正を行なったことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、原告は、前記伊藤が原告に対し反面調査を行なわないことを約した旨主張し、これに沿うかのような前掲証人松ケ谷の証言及び同原告本人尋問の結果が存するが、これらは前掲証人伊藤の証言に照らしてにわかに採用し難く、他にかかる事実を認めるに足りる証拠はない。
3 以上認定の1の事実によれば、原告の係争各年分の所得につき合理的調査理由が存したことは明らかであるし、原告に対する調査理由の告知の具体性の程度においても欠けるところはないから、調査の方法としても相当というべきである。従って、この点に関する原告の主張は採用できない。また、原告は、被告に対し税務調査への協力を求めることなく直ちに反面調査権を行使した違法がある旨主張するが、反面調査権の行使は、その行使の時期、方法、対象等につき被告の合理的裁量に委ねられているものと解されるから、まず納税義務者に対し調査への協力を求めることが右調査権行使の要件であるとは解されず、従って、右主張はそれ自体失当である。のみならず、前記認定の1の事実に照らせば、被告は、原告に対し相当な手続で調査への協力を求めたにもかかわらず、原告がこれに応じなかったことが明らかであるから、原告の前記主張は前提においても誤っていて採用できない。その他、本件全証拠を検討しても、本件反面調査権の行使に逸脱、濫用の違法があったものとは認め難い。なお、原告は、右反面調査権の行使により得意先の信用を失墜した旨主張し、原告本人尋問の結果(第二回)中にはこれに沿う供述が存するが、右供述のみではそのような事実を認めるには足らず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
そして、前記認定の2の事実によれば、本件各更正は、原告の取引銀行等に対する反面調査によって把握された売上金額を基礎に、同業者の平均経費率を用いて所得金額を算出して行なわれたものであるから、これを恣意的な見込課税ということはできない。
原告は、本件更正時における所得金額算出の経緯が明らかにされていないから、本件各更正は恣意的課税である旨主張するが、本件各更正が調査に基づき行なわれたものであることは右に述べたとおりであるし、白色申告に対する更正の取消訴訟においては、右処分の正当性を維持する理由として更正時には考慮されなかった事実を新たに主張することも許されるものと解されるから、右原告主張も採用し難いものというべきである。
以上のとおりであるから、被告のした本件税務調査は適法というべきである。
三 係争各年分の所得金額について
1 総収入金額
(一) 昭和四四年分
(1) 売上金額については、別表二、三、1のうち、(7)(株式会社秀研社)の一、四五四、三七四円を超える部分並びに(23)(有限会社エーワンインサツ)及び(24)(有限会社司印刷)に対するものを除く部分についてはいずれも当事者間に争いがないので、右争いある部分について検討する。まず、秀研社についてみるに、証人杉本武の証言により成立の認められる乙第一七号証及び同証言によれば、昭和四四年中における右秀研社と原告間の原告の事業取引に係る売上金額は一、七一六、九九六円であることが認められ(但し、このうち、一、四五四、三七四円の限度で当事者間に争いがない。)、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。次に、右エーワンインサツについてみるに、右証人杉本の証言により成立の認められる乙第一八号証及び同証言によれば、昭和四四年一〇月一五日三菱銀行江戸川支店の原告名義の口座に右エーワンインサツから一三四、九四〇円が入金されている事実が認められるところ、弁論の全趣旨によれば、右原告名義の口座への入金は、殆んど原告の製本業に係る売上金であることが認められるから、他に反証がない限り、右エーワンインサツからの入金についても原告の製本業に係る売上金と推認されるところより、他に右推認を左右するに足りる証拠はない。最後に、前記司印刷についてみるに、前掲杉本の証言により成立が認められる乙第一九号証及び同証言によれば、昭和四四年一月二〇日前記原告名義の口座に右司印刷から七〇、〇〇〇円が入金されている事実が認められるから、前同様、他に反証がない限り原告の製本業に係る売上金と推認されるところ、他に右推認を左右するに足りる証拠はない。
(2) 以上によれば、原告の昭和四四年中の事業所得に係る総収入金額は五、二五〇、六四一円となる。
(二) 昭和四五年分
(1) 売上金額については、別表三、二、1のうち、(1)(モリモト印刷株式会社)の二、六七八、九〇六円、(4)(株式会社成和)の六三、三五〇円及び(21)(有限会社根本製本所)の二二、〇〇〇円をそれぞれ超える部分並びに(8)(株式会社粂川印刷)に対するものを除く部分については、いずれも当事者間に争いがないので、右争いある部分につき検討する。まず、右モリモト印刷についてみるに、前掲証人伊藤の証言により成立の認められる乙第二三号証及び同証言によれば、昭和四五年中における右モリモト印刷と原告間の原告の事業取引に係る売上金額は二、七一七、七〇六円であることが認められ(但し、このうち二、六七八、九〇六円の限度で当事者間に争いがない。)、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。次に、右成和についてみるに、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第九号証及び同証言によれば、右四五年中における右成和と原告間の原告の事業取引に係る売上金額は一九三、〇六〇円と認められる(但し、このうち、一二九、七一〇円の限度で当事者間に争いがない。)。原告本人尋問の結果(第一回)中には、右成和との間には、昭和四五年一月分に係る六三、三五〇円の取引はなかったとの趣旨の部分があり、これに沿うかのごとき甲第一号証(原告作成に係る右成和宛の昭和四五年一月二五日付請求書控)があるが、右甲第一号証には昭和四四年一二月分及び同四五年一月分の取引に係る請求金額として四〇、九二〇円の記載があるところ、これを前掲乙第九号証の記載と対比すると、右四〇、九二〇円に符合する取引は同四五年三月に小切手で決済されている旨記載され、前記の六三、三五〇円は同年一月に決済されている旨記載されているのであるから、前記請求書と対比すると右六三、三五〇円の取引は昭和四四年中の取引ではないかとの疑いを生じ得なくもないのである。しかし、前掲乙第九号証によれば、前記四〇、九二〇円の取引は、昭和四五年三月の取引であり、同六三、三五〇円の取引は、同年一月の取引と記載されているところであるし、また、前掲証人杉本の証言によれば、原告と成和との取引はすべて原告の取引銀行及び得意先に対する反面調査によって把握されたものであるが、原告の売上金額は、昭和四四月中は五四九、九六二円、同四六年中は八、七五〇円でこれらはいずれも当事者間に争いがなく、同四五年についても前記の六三、三五〇円を除き、その余はすべて当事者間に争いがないところである。以上の事実によれば、前記六三、三五〇円の取引は、昭和四五年一月の取引と認めるのが相当であり、前掲原告本人尋問の結果及び甲第一号証のみでは右認定を左右するに足りない。次に、前掲根本製本所についてみると、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第二〇号証及び同証言によれば、右根本製本所と原告間の昭和四五年中の原告の事業取引に係る売上金額は同年六月分の一五〇、〇一〇円及び一一月分の二〇、五八〇円、合計一七〇、五九〇円であるかのようにみえるが、前記原告本人尋問の結果により書込部分の成立が認められその余の部分の成立に争いのない甲第五号証及び右尋間の結果によれば、右の一五〇、〇一〇円は一、五〇〇円の、同二〇、五八〇円は二〇、五〇〇円の誤記と認められるから、原告の右根本製本所に対する昭和四五年中の売上高は合計二二、〇〇〇円と認められ、他に被告主張の一七〇、五九〇円であることを認めるに足りる証拠はない。最後に、前記粂川印刷についてみると、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第一〇号証及び同証言によれば、右粂川印刷と原告間の昭和四五年中の原告の事業取引に係る売上金額は八四四、七七六円であることが認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
(2) 以上によれば、原告の昭和四五年分の事業所得に係る総収入金額は、六、八四二、三七八円となる。
(三) 昭和四六年分
(1) 売上金額については、別表四、二、1のうち、(2)(大昭印刷株式会社)の四七八、三四〇円及び(6)(有限会社盛文社印刷所)の二一三、八四〇円をそれぞれ超える部分並びに(16)(中島重彦)に対するものを除く部分についてはいずれも当事者間に争いがないので、右争いある部分について検討する。まず、右大昭印刷についてみるに、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第一二号証及び同証言によれば、右大昭印刷と原告間の昭和四六年中の原告の事業取引に係る売上金額は五一三、九九〇円と認められる(但し、このうち四七八、三四〇円の限度で当事者間に争いがない。)。原告本人尋問の結果(第一回)中には、右大昭印刷との間には、同年一二月分の三五、六五〇円の取引はなかったとの趣旨の部分があり、これに沿うかのごとき甲第二号証(原告作成に係る右大昭印刷宛の昭和四六年一二月二〇日付及び同四七年三月三一日付各請求書控)があるが、右一二月二〇日付の請求書控の請求年月日欄の「12」は、元来「11」と記載されていたのを書き換えた形跡がその記載自体から窺われるし、既に前項において株式会社成和について述べたところと同様に、右大昭印刷についても、被告の反面調査によって把握された係争各年分についての売上金額(昭和四四年分については八二八、五二七円、同四五年分については九四七、一七〇円)は、右三五、六五〇円を除きいずれも当事者間に争いのないところである。以上の事実によれば、右三五、六五〇円の取引は、昭和四六年一二月分の取引として認めるのが相当であり、前掲原告本人尋問の結果及び甲第二号証のみでは右認定を左右するに足りない。次に、前記盛文社についてみるに、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第二一号証及び同証言によれば、右盛文社と原告間の昭和四六年中の原告の事業取引に係る売上金額は四四二、八四〇円と認められる(但し、このうち、二一三、八四〇円の限度で当事者間に争いがない。)。原告本人尋問の結果(第一回)中には、右盛文社印刷との間には同年一一月分に係る二二九、〇〇〇円の取引はなかったとの趣旨の部分があり、これに沿うかのごとき甲第四号証が存するところ、右甲号証の成立について原告は、取引銀行である三菱銀行江戸川支店の行員に作成してもらった旨供述し、右甲号証にも右の銀行名が記載されているところである。しかし、右甲号証には、作成者の氏名、作成年月日及びいかなる帳簿に基づき作成したものであるかの作成の経緯を知る記載は全くないし、右の作成者氏名については前掲原告本人尋問の結果によっても明らかにされていないのであるから、右本人尋問の結果及び書証の記載のみをもっては甲第四号証が真正に成立したものとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠もない。そうすると、原告の前記供述だけでは前記認定を覆すには足らず、他にこの認定を左右するに足りる証拠もない。最後に、前記中島重彦についてみると、前掲証人杉本の証言により成立の認められる乙第一六号証及び同証言によれば、昭和四六年一二月一七日三菱銀行江戸川支店の原告名義の口座に右中島から小切手で四〇〇、〇〇〇円の入金があったこと及び右中島は四谷税務署管内で印刷関係の仕事に従事していたことが認められ、これらの事実に右口座への入金の殆んどが原告の事実上の売上金である事実(この事実は弁論の全趣旨により認められる。)を勘案すると、右中島からの入金を原告の事業に係る売上金の入金であると推認し得なくもないところである。しかし、前掲原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第三号証の一ないし四及び同尋問の結果によれば、原告は昭和四六年八月二四日前記中島及び中島喜代子に対し金六〇〇、〇〇〇円を二箇月以内に返済する約定で貸し付けたことが認められるところ、原告は前記入金は右貸付金の返済である旨供述しているところであるから、これらによれば、前記の推認は困難というべく、他に被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
(2) 以上によれば、原告の昭和四六年の事業所得に係る総収入金額は、六、八〇七、五六五円となる。
2 必要経費
(一) 必要経費については、係争各年分につき一般経費のうちの接待交際費と福利厚生費及び特別経費のうちの給料(但し、後記のとおり給料については係争各年分とも一部については当事者間に争いがない。)並びに昭和四五年分の一般経費のうちの旅費・交通費及び特別経費のうちの地代・家賃(但し、いずれも後記のとおり一部については当事者間に争いがない。)を除き、その余はすべて当事者間に争いがない。そこで、以下、係争各年分の給料、福利厚生費及び接待交際費を検討し、続いて右四五年分の旅費・交通費及び地代・家賃について順次検討することとする。
(1) 係争各年分の給料
原告が従業員に対し、給料として昭和四四年中に八四〇、〇〇〇円、同四五年中に八二六、〇〇〇円、同四六年中に八〇八、五〇〇円をそれぞれ支給した事実は当事者間に争いがない。原告は、右争いない支給額のほか、昭和四四年中には七二六、五〇〇円を、同四五年中には一、一二九、〇〇〇円を、同五六年中には九三一、五〇〇円をそれぞれ従業員に支給した旨主張するので以下、右主張について検討する。
(ア) 原告作成部分につきいずれも原本の存在及び成立に争いなくその余の部分の成立は証人外山太郎の証言により認められる乙第一号証の三(昭和四四年分の給料手当帳の写に被告職員が書込みをしたもの)、同号証の一〇(右と同様の昭和四五年分の給料手当帳の写)及び同号証の一六(同じく昭和四六年分の給料手当帳の写)には、係争各年の給料の支給につき原告の前記主張に沿う記帳があり、原告本人尋問の結果(第二回)により成立の認められる甲第一一号証の一ないし四〇(出金伝票)には右四四年分給料手当帳の従業員吉原を除くその余の従業員についての記帳に沿う給料を証する記載がある。ところで、このような給料手当帳及び出金伝票はいずれも原告自身が作成したものであるから、その信用性は右帳簿類が給料支給の事実に基づき、正確に記帳されていることが立証されて始めて認められるところというべきである。そこで、まず、右帳簿類の作成の経緯についてみると、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は昭和四二、三年ころから会計帳簿類の記帳を始めたが、その基本的方法は、支出については可能な限り領収証の類を入手し、これを月単位でとりまとめておき、二、三箇月以内に帳簿に記帳し、整理していた、これを給料手当についてみると、給料の支給は、時間給で給料額を計算する従業員の場合には、市販の給料明細書に勤務時間と支給額を書き入れ、これを支給時に手渡し、その控を保存し、前記の方法で給料手当帳に記載し、整理していたというのである。一方、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、前記の出金伝票は、昭和四四年中に臨時使用した従業員(前記尋問の結果によれば、このような臨時使用の従業員はほとんど時間給で給料を支給される。)につき、月末に原告とその妻で作成したもので、この伝票に基づき同四五年の正月休みに前記昭和四四年の給料手当帳に記帳整理したというのである。
ところで右によれば、原告は、支出の都度領収証の入手を心がけ、これを基本に帳簿類の記帳整理を行なっていたものであり、本訴においても極めて多類の領収証類が提出されていることは記録上明らかである。しかるに、給料の支給は継続的であり、かつ、金額も高額に達するにもかかわらず、従業員の受領を証する書類は一切存しないのであるから、前記の記帳方法からするなら不自然なことといわねばならない。また、給料手当帳の原始記録についてであるが、原告が供述している前記の給料明細書の提出はなく、昭和四四年分の雑給に限って提出されている前記出金伝票については、支給額の記載があるだけで、稼働時間や単位時間当たりの支給額の記載はないし、右給料明細書との関係も明らかではないのである。さらに、給料手当帳の記載の体裁についてみても、前記の給料手当帳のほとんどは時の経過に従って記帳されているが、昭和四五年分給料手当帳の雑給欄以外の部分に限り、従業員を単位として年間を通して記帳されていて、右部分の記帳が右四五年の経過後に一括してされた形跡を窺わせるし、また、右四五年分給料手当帳の従業員武田に対する記帳については、支給額欄に限り鉛筆書き(その余はすべてペン書きされている。)されているなど、記帳の体裁自体から作成経緯の不自然さを窺わせるものがあるといわねばならない。これらのことからするなら、前記の給料手当帳及び出金伝票をもって、原告主張のような支給の事実を認定することは困難であるというほかない。
(イ) そこで進んで従業員の就労状態についてみるに、原告本人尋問の結果(第三回)により成立の認められる甲第一四号証の一並びに前掲証人外山の証言及び原告本人尋問の結果(第一回ないし第三回)によれば、原告事業所では、タイプ印刷等のいわゆる軽印刷物の製本を行なっているものであるが、その作業は、事業所内へ搬入された印刷物の折り、丁合(印刷物の頁を整える作業をいう。)、綴じ及び裁断の各工程を経て行なわれること及び右タイプ印刷等の製本作業は活版印刷物のそれに比べ機械化しにくいことが認められる。ところで、前記甲第一四号証の一及び原告本人尋問の結果(第一回ないし第三回)中には、前記認定の工程を要する軽印刷物の製本作業には少なくとも常時四人の従業員を要するし、このほか、毎年一一月ころから翌年四月ころまでの繁忙期には臨時使用の従業員が必要になること、このような従業員はほとんど製本技術をもった職人であるが、原告はこれらの職人を募集、友人の紹介等で採用していたこと、給料は月給で支給する者、時間給で支給する者及び請負で支給する者がいたが、係争各年の給料手当帳の雑給欄に記載された者(昭和四四年については、吉原以外の者)はすべて時間給ないし請負の形で支給されていたことなど前記の原告主張に沿う部分がある。
しかし、原告は、審査請求の段階まで一切の帳簿類を提示しなかった(この事実は当事者間に争いがない。)し、前掲証人外山の証言によれば、審査請求時の調査の際に、同人は、原告に対し前記給料手当帳記載の従業員の名前(右給料手当帳には従業員とされる者の姓しか記載されていない。)、住所等の従業員を特定するための事項について質問したところ、原告が具体的に回答したのは吉原実、高橋守、武田謙吾の三名と横溝某だけであり、右回答に基づき被告が反面調査し得たのは右吉原と高橋の二名であったことが認められ、他にこの認定を左右する証拠はない(なお、前掲証人外山の証言によれば、前記吉原については、住民票等で調査し得たし、昭和四五、四六年の給料手当帳記載の笠井については、前記の調査時にも原告事業所で稼働していたことから、その勤務実績を確認し得たことが認められる。)。そして、右従業員の特定については、本訴における原告本人尋問の結果についてみても、基本的には審査請求時におけるのと同様に極めてあいまいであり(後記のように武田は原告の義兄であるから、同人に対する調査ができなかったというのは不可解というほかない。)、また、原告は、給料手当帳の雑給欄に多数の時間給による支給を記帳しておきながら、単位時間当たりの支給額等その算出の経緯につき首肯するに足りる説明をしていないのであって、かかる供述態度は、給料手当記載の従業員数及び勤務期間等を勘案すると不可解というほかなく、従って、その供述は採用し難いものといわねばならない。
さらに、前記の高橋守についてであるが、同証人の原告主張に沿う証言があるが、右証言は、証人新平重夫の証言により成立の認められる乙第三〇号証の三及び同証言に照らしてにわかに採用し難いばかりか、右高橋の証言によっても、給料手当帳に記帳された同人に対する支給額の存在を認定することはできない。また、甲第七、八号証の記載であるが、右各書証はその記載自体極めて不完全であるうえ、甲第七号証の記載内容は、昭和四四年の給料手当帳の記載と符合しない(右給料手当帳には「河西」の記載はあるが、右七号証に記載の「笠井」はない。)し、甲第八号証は成立に争いない乙第二九号証の記載をも勘案するとにわかに採用し難いものである。最後に、武田謙吾についてであるが、原告本人尋問の結果(第一回ないし第三回)及び右証人武田の証言によれば、原告の義兄である武田は、将来、原告と製本業を共同経営することを目指して京都市から上京し、昭和四五年春から同年暮まで原告事業所で稼働し、同年の給料手当帳に記載されたとおりの給料を得たというのである。
しかし、右武田の証言は、原告事業所での作業内容、他の従業員の就労状況及び居住環境等の点において極めて具体的に乏しく、かつ、あいまいであり、右の稼働に至る経緯及び稼働期間等を考慮すると不自然の感を免れないところ、前掲証人新平の証言により成立の認められる乙第三〇号証の二及び同証言によれば、原告において、右武田が原告事業所で稼働していた期間中の住居であると主張する家屋の賃貸人である相馬ほのよは、右家屋は、原告が自宅を新築中につきその母親の仮住い用に賃貸したものであり、現に右母親が居住していた旨供述しているところであるし、また、前掲証人藤井の証言により成立の認められる乙第二七号証によれば、原告の自宅新築工事期間は昭和四五年五月から同年一〇月までと認められるところ、右期間は、原本の存在及び成立に争いない乙第二四号証の四(原告の昭和四五年の家賃帳写)に記載された前記相馬に対する家賃の計上期間と一致することが認められるのである(これに対し、同四五年の給料手当帳の武田に対する給料支給期間は同年六月から一一月までと記載されており、右相馬に対する家賃計上期間と符合しないのである。)。以上によれば、原告主張に沿う前記の各供述はいずれもにわかに採用し難いものといわねばならない。
なお、原告は、甲第一四号証の三の二、三及び同号証の三の五を各提出し、前記武田が稼働していた証左とするが、前掲各証拠に照らせば、右書証をもっても右事実を認定し得ないことは前同様である。付言するに、原告は、軽印刷物の製本作業は、その作業工程から少なくとも四名の従業員を要する旨供述していることは前説示のとおりであり、これに沿う甲第六号証、第一三号証及び第一四号証の一、二があるが、これらによれば、右人数の従業員がいれば作業が能率的に進行することは認められても、右人数がいなければ製本作業が行なえないものとまでは認められないから、右各証拠をもっても従業員四名が必要であると認めるには足りない。
(ウ) のみならず、前掲証人伊藤及び同外山の各証言によれば、右伊藤及び外山が、現処分時あるいは審査請求時に調査のため合計数回(右外山は、昭和四八年一〇月ころから翌四九年二月ころまでの間に五回臨店しているし、伊藤が三回臨店したことは既に述べたとおりである。)原告事業所へ臨店しているが、いずれの機会にも稼働していた従業員は一名であったことが認められるし、原告に事業所を賃貸していた家主は、被告職員に対し、原告事業所では原告とその妻及び従業員一名で仕事をしている旨説明していたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(エ) 以上の(ア)ないし(ウ)の説示に照らせば、前記の当事者間に争いない支給額のほかに、原告主張の支給額の存在を認めることは困難というほかなく、被告が原告の支給した給料額を認定するに当たり、係争各年の従業員を一名と認定したことに違法はないというべきである。
(2) 係争各年分の接待交際費及び福利厚生費
被告は、右二科目の必要経費については推計の方法により算出して主張しているので、以下これについて検討する。
(ア) 推計の必要性
前記二、1に認定の本件税務調査の経費に照らすならば、原告は、税務調査に対し協力せず、帳簿書類も提示しなかったのであるから、被告が本件各更正時において推計の方法を採らざるを得なかったことは当然というべきである。
ところで、原告は、前記のとおり審査請求の段階になって必要経費に関する帳簿書類を提示し、これに基づき経費を算出すべきことを主張しているところ、被告は前記の二費用については、原告の帳簿書類の信頼性は乏しいとして推計の方法によるべきことを主張しているところである。そこで、右の二費用につき、本訴においても推計の必要性が存するか否かについては、右費用に関する帳簿書類の信頼性の有無にかかっているものというべきであるから、以下、この点につき検討する。
a 接待交際費帳簿の信頼性
ⅰ 原告本人尋問の結果(第一回)により書込部分の成立が認められその余の部分の成立に争いない甲第九号証(係争各年分の交際接待費帳に原告が書込みをしたもの、乙第一号証の一七ないし一九の各原告作成部分は右交際接待費帳の写である。以下、「昭和四四年交際費帳」のように表示する。)及び右本人尋問の結果によれば、係争各年の交際費帳の各年毎の記帳総額は、昭和四四年が二〇六、〇八二円、同四五年が五〇一、六九八円(交際費帳の記帳合計額五〇一、六八五円は計算誤謬と認められる。)、同四六年が四五七、二〇九円であるところ、右記帳額中には、厚生費等の交際費以外に記帳されるべきものが混入しているというのであり、右混入分は、記帳上明らかに認められるもの(係争各年分の交際費帳に厚生費なる書込みがある記帳例及び明らかに右書込みがある記帳例と同視し得る記帳例)によると、昭和四四年は九四、五二五円(従業員の夜食費・グリル太陽一三、〇八〇円、ともえ寿し三五、七九〇円、従業員との仕事打合せ時に要した飲食費五六〇円、従業員上京費・三月三日一〇、〇九五円、七月一九日三五、〇〇〇円、以上合計九四、五二五円)、同四五年は二〇七、六八八円(従業員夜食・グリル太陽五、二三〇円、ともえ寿し六〇、五一〇円、従業員用茶購入費二五五円、従業員見舞費用三五、一四五円、同慰安旅行費三七、九四三円、同上京費六八、六〇五円以上合計二〇七、六八八円)、同四六年は七七、三一〇円(従業員サウナ風呂入浴料三一、一六〇円、同備品四二、七〇〇円、同靴一、九五〇円、同夜食一、五〇〇円以上合計七七、三一〇円)となるから、右混入分を前記の記帳総額から控除すると、係争各年の交際費は、昭和四四年が一一一、五五七円、同四五年が二九四、〇一〇円、同四六年が三七九、八九九円となる。
ⅱ そこで、以下、右控除後の交際費をもとに検討するに、まず、昭和四四年分の交際費については、前記のとおり混入分控除後の交際費は一一一、五五七円であるところ、右額は、被告主張額一一二、三六四円を下回ることになるから、かかる場合には、右被告主張額をもって右四四年分の交際費とするのが相当である。
次に、昭和四五年分についてみるに、同年の記帳額は前記のとおり二九四、〇一〇円となるところ、右は、前年費比の約二・六倍に達するが、本件全証拠を検討しても右の著しい増加を首肯せしめるに足りる事実を認めることはできず、右の増加は不自然といわねばならない。因みに、右各年につき総収入金額を比較すると、前記三、1、(一)、(二)によれば昭和四五年は同四四年の約一・三倍となる。そこで、いくつかの記帳例についてみるに、まず、「森元」に対する三月一五日(五、〇〇〇円)及び九月一二日(四、六九〇円及び二〇、〇〇〇円)の各出金の記帳であるが、右出金に沿う甲第一〇号証の二の一四、同号証の二の五五(いずれも出金伝票)及び同号証の二の五七(領収書)があり、前掲甲第九号証及び原告本人尋問の結果(第二回)中には、右各支出は取引先であるモリモト印刷の従業員旅行に対する寸志である旨の記載及び供述がある。しかし、前掲証人藤井の証言により成立の認められる乙第三一号証及び同証言によれば、右モリモト印刷の雑収入関係の帳簿には原告から前記各金員を収受した旨の記帳はないし、また、従業員旅行は年一回しか行なっていないことが認められる。加えて、前記の甲第一〇号証の二の五七の領収書の品名欄には「冷ビール」と記載されているのであるから、前記の使途からするなら右品目は不自然といわざるを得ず、前掲各証拠はにわかに採用し難い。従って、前記各記帳は、出金伝票に係る分については支出自体に疑問があるし、仮に、支出されたとしてもその使途は明らかではないから、これらを交際費ということはできない。次に、原告が仕事上の手数料ないし寸志と称する支出であるが、前掲甲第九号証及び原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は製本の仕事を紹介してくれた者に対し、手数料ないしは寸志として、昭和四四年中には合計二四、〇〇〇円を、同四五年中には一五八、九四〇円(同年の交際費帳五月六日欄の「小林」に対する五一、五六〇円も右本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、同性質の支出と認められる。)、同四六年中には四〇、〇〇〇円をそれぞれ支給した旨記帳があり、これに沿う出金伝票(昭和四五年分、甲第一〇号証の二の一一、一八、二一、二二、二四、二八、四六、同四六年分、同第一〇号証の三の七三)がある。右の記帳によれば、昭和四五年分の手数料は交際費全体の約五四パーセントを占める(158940÷294010×100≒5406、因みに、昭和四四年は約二一パーセント、同四六年は約一〇パーセントである。)ことになるが、同年に限り右のような高給、かつ高率に達する経緯を首肯せしむるに足りる証拠はないのみならず、各個の支出自体についてみても相当高額の支出でありながら、前記の原告作成に係る出金伝票があるだけで、受領を証する領収証等は全くないばかりか、支出の相手方も多くは姓しか記載されていないのであるから、他に的確な証拠がない以上、前記の記帳通りの支出ないしは使途を認めることは困難であるといわねばならない。なお、原告本人尋問の結果(第一、二回)中には、帳簿全体の信用性につき、事業上の経費についてのみ領収証を得てこれに基づき記帳するが、家事費については一切領収証をもらわないことにしているから、家事費ないしはこれに関連する費用が事業上の経費に混入することはあり得ないとの趣旨の部分がある。しかし、前掲乙第三号証及び原告作成部分は原本の存在及び成立に争いなくその余の部分の成立は前掲証人外山の証言により認められる乙第一号証の七並びに右外山の証言によれば、原告は、昭和四五年分の損害保険料の記帳に際し、保険料として九八、六〇一円を計上しているものであるが、このうち、合計四六、三五七円は原告の家財道具及び自宅に係る保険料であることが認められるのである。右事実によれば、相当額の家事費が混入していたことは明らかであるし、既に認定した給料手当帳についての疑問を勘案するなら、前記本人尋問の結果を採用することはできないものといわねばならない。
進んで昭和四六年分について検討するに、同年分の記帳例については、以下のとおり家事費の疑いを払拭し得ない支出が多数存するのである。
すなわち、成立に争いない乙第二八号証及び原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告は、昭和四五年一〇月ころの自宅新築以後は豊島区千早町一丁目四五番地に妻、長女(昭和四一年七月生れ)、次女(同四五年八月生れ)及び原告の母の四人で居住していたものであるところ、昭和四六年の交際費帳に記帳されているもののうち次表に掲げる記帳例については、いずれも弁論の全趣旨により成立の認められる次表の領収証番号欄記載の甲号各証及び前掲証人藤井の証言により成立の認められる同表乙号証番号欄記載の乙号各証(但し、乙第四一号証ないし第四三号証の各二及び同第四五、四六号証の各二はいずれも原本の存在及び成立に争いがない。)並びに前掲原告本人尋問の結果によれば、いずれも同表の商店名欄記載の各商店からの物品購入であるところ、右物品は、同表の品名ないし売場名欄記載の物であるかないしは同欄記載の売場で販売されたものであることが認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。そして、原告はいずれもこれらは得意先ないしはそのセールスマンに対する贈答品であると供述しているところである。
<省略>
<省略>
しかし、右認定の商店の所在地、品名及び価格等に前記認定の原告の住居地及び家族構成並びに事業所所在地(新宿区内にあることは当事者間に争いがない。)等の諸事情を総合考量するなら、前掲甲第九号証の記載及び同原告本人尋問の結果(第二回)をもっても家事費の疑いを払拭し得ず、従って、これら記帳例を交際費と認めることは困難といわねばならない。
なお、原告本人尋問の結果(第一、二回)中には、昭和四六年分についてもその記帳経理の方法からするなら家事費が混入することはあり得ないとの趣旨の部分がある。しかし、原告作成部分につき原本の存在及び成立に争いなくその余の部分の成立は前掲証人外山の証言により認められる乙第一号証の一三及び一四並びに右証言によれば、原告は、昭和四六年の損害保険料の記帳において自宅に係る保険料を、修繕費の記帳においては自宅のカラーテレビに要した修理代をそれぞれ計上していることが認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はないのであるから、右の事実によれば、にわかに前記原告本人尋問の結果を採用し得ないことは既に昭和四五年について述べたところと同様である。
そうすると、昭和四六年の交際費帳についても、前記のような家事費の疑いを払拭し得ない数多くの記帳例の存在や既に述べた給料手当帳等の信頼性を勘案すると、その信用性は乏しいものといわねばならない。
ⅲ 以上説示したとおり、原告の昭和四五、四六年分の交際費帳は信頼性に乏しく、これらに基づき接待交際費を実額で算出することはできないものといわねばならない。
b 厚生費帳簿の信頼性
ⅰ 前項a、iに説示したように係争各年分の交際費帳には厚生費とすべきものが記帳されているのであるから、まずこの点から検討する。昭和四四年分についてみるに、同年の交際費帳に記帳された混入分のうち、従業員の夜食費(グリル太陽及びともえ寿しに対するもの)四八、八七〇円及び従業員との仕事打合せ時に要した飲食費五六〇円が厚生費に属すべきことは明らかであるから、これを同年の厚生費帳(原告作成部分につき原本の存在及び成立に争いなくその余の部分の成立は前掲証人外山の証言により認められる乙第一号証の二〇)記載の記帳総額二二九、七七〇円に加算すると、右四四年の厚生費は二七九、二〇〇円となる。次に、同四五年についてみると、同年の交際費帳に記帳された混入分のうち、従業員の夜食費(グリル太陽及びともえ寿しに対するもの)六五、七四〇円、従業員の慰安旅行費用三七、九四三円、従業員に対する見舞費用三五、一四五円及び従業員用茶代二五五円が厚生費に属すべきことは明らかであるから、これを同年の厚生費帳(前同様原告作成部分につき原本の存在及び成立に争いなくその余の部分の成立は前掲証人外山の証言により認められる乙第一号証の二一)記載の記帳総額三六四、九二〇円に加算すると、右四五年の厚生費は五〇四、〇〇三円となる。次に、昭和四六年分についてみると、同年の交際費帳に記帳された混入分のうち、従業員のサウナ風呂入浴料三一、一六〇円、従業員用備品代四二、七〇〇円、従業員用靴代一、九五〇円及び従業員の夜食費一、五〇〇円が厚生費に属すべきことは明らかであるから、これを同年の厚生費帳(前同様原告作成部分につき原本の存在及び成立に争いがなくその余の部分の成立は前掲証人外山の証言により認められる乙第一号証の二二)記載の記帳額四三六、八一四円に加算すると、右四六年の厚生費は五一四、一二四円となる。
ⅱ そこで、以下、右加算後の厚生費の額をもとにして検討することとする。
まず、係争各年の従業員数との関係についてであるが、厚生費とは、従業員の慰安、保健、療養などのために事業主が支払った費用をいうものと解されるから、一般的には、厚生費の額は従業員数に比例する関係にあるものと推測されるところ、既に述べたように、原告の係争各年の従業員数は本件証拠によっては一名と認定するほかないのであるから、前項の係争各年の厚生費、特に昭和四四年に比べ、同四五、四六年が約二倍近く増加しているのは不自然というほかないのである。これを原告の記帳例に沿って従業員一人当たりの厚生費として検討してみるに、前掲各年の厚生費帳(乙第一号証の二〇ないし二二)及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、次の事実が認められる。すなわち、厚生費の主なものはパン、ジュース及び夜食等の飲食費が占めているところ、昭和四四年一月分の飲食費は合計一八、三〇〇円であり、これに対応する給料手当帳記載の従業員数は一名、従って、従業員一名当たり月額一八、三〇〇円となる。次に、同四五年一月分についてみると、同月分の飲食費は合計一四、九四五円(厚生費帳記載の九、九九五円に交際費帳の混入分四、九五〇円を加算した。)であり、これに対応する給料手当帳記載の従業員数は二名、従って、従業員一名当たり月額約七、四七二円となる。同様に、昭和四六年一月分についてみると、同月分の飲食費は三〇、九七五円(厚生費帳の記帳合計額三九、〇五五円からサウナ風呂入浴料八、〇八〇円を控除した。)であり、これに対応する給料手当帳記載の従業員数は三名、従って、従業員一名当たり月額一〇、三二五円となる。なお、前掲係争各年の給料手当帳(乙第一号証の三、一〇及び一六)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、右各年の一月に稼働した従業員は、いずれも雑給欄に記載されていないところからすると、月給制による継続して勤務していた従業員ということになるから、その勤務条件は各年ともほぼ同様と考えることができるものというべきである。
以上によれば、係争各年一月の従業員一人当たりの飲食費は、昭和四四年が一八、三〇〇円(一箇月二五日勤務としても、日額七三二円)同四五年が約七、四七二円(同約二九九円)、同四六年が一〇、三二五円(同四一三円)となり、右金額は、同月の従業員給料(右四四年、六〇、〇〇〇円、同四五年平均五〇、〇〇〇円、同四六年平均四八、〇〇〇円)に比して極めて高額であるし、また、係争各年による差異は極めて大きく、飲食費の性格に照らすとこの点は不自然の感を免れないものといわねばならない(なお、前掲原告本人尋問の結果によっても、従業員に対しいかなる基準で飲食物を給与していたかは漠然としていて明らかではない。)。
次に、飲食費の支出先の主要な部分を占めるグリル太陽及び崎山商事についてみるに、まず、グリル太陽であるが、昭和四四年の交際費帳には、右飲食店に対する支払が一九回記帳されており、これに沿う領収証(甲第一〇号証の一の五、七ないし九、一一、一二、一五、一七、一八、二〇、二六、四六、四九、五五ないし五七、五九、六二及び六三)が存する。しかし、前掲証人藤井の証言により成立の認められる乙第二六号証の一、二及び同証言によれば、右グリル太陽は、新宿区新小川町で昭和四五年に開店したというのであるから、右四四年中の記帳及び領収証の存在には疑問が存するものといわねばならない。そして、崎山商事についても係争各年にわたって極めて多数の記帳と、それに沿う領収証が存するが、前掲証人藤井の証言により成立の認められる乙第四九号証及び第五〇号証の一、原本の存在及び成立に争いない同号証の二並びに弁論の全趣旨によれば、右領収証の中にはその金額欄が崎山商事の担当者によって記入されたものではないものが多数存することが認められるから、前記の崎山商事の領収証に基づく記帳額どおりの支出があったとするには疑問があるものといわねばならない。
次に、昭和四五年中の武田謙吾に対する支出であるが、同年の厚生費帳及び交際費帳の各記載、原告本人尋問の結果(第一、二回)及び右証人武田の証言中には、原告は、同年四月二八日右武田に対し原告事業所で働くについての仕度金として八〇、〇〇〇円を、同年五月九日右武田の上京を促すため出迎えに要した費用として五二、四五〇円を、同年八月二九日右武田に対し病気見舞として三〇、一四五円を各支出した旨の記帳及び供述がある。しかし、前二者については、武田が稼働した事実を認め難いことは既に認定のとおりであるから、かかる支出も認め難いし、後者の見舞金については、仮にこのような支出があったとしても、右のように稼働の事実が認め難い以上、右支出が業務との関連性を欠くことは明らかであり、他にこれを認めるに足りる証拠もないから、結局、以上の各記帳例には疑問がある。また、同年一月六日のゐがゐ旅館に対する三七、九四三円の支払の記帳であるが、これに沿う甲第一〇号証の二の四(右旅館の領収証であり、その成立は弁論の全趣旨により認められる。)があり、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、右は従業員の慰安旅行に要した費用であるというのである。しかし、右領収証によれば、滞在期間は一月三日から同月六日までで、人員は三名であるところ、通常、右のような時期に、同一旅館に三泊もする従業員旅行は極めて稀であるのに、原告は同行した従業員の氏名すら明らかにしていないのであって、その供述は採用し難く、他に右支出が従業員旅行に要した費用であることを認めるに足りる証拠はない。かえって、右の旅行時期及び滞在期間に、既に説示の原告の家族構成等を勘案すると、右は家族旅行に要した支出ではないかとの疑いがある。
ⅲ 以上説示したとおり、原告の係争各年の厚生費帳は信頼性に乏しく、これらに基づき福利厚生費を実額で算出することはできないものといわねばならない。
c 従って、接待交際費及び福利厚生費についての推計の必要性は現処分時においてはもとより、本訴においても存することは明らかというべきであるから、これに反する原告主張は採用できない。
(イ) 推計の合理性
被告は、原告と同種同規模の製本業者の平均的な接待交際費率及び福利厚生費率を用いて、右の各経費を算出すべきものと主張しているが、右方法自体が合理性を有することはいうまでもない。そして、証人笹原幸雄の証言により成立の認められる乙第五号証、同第六号証の一ないし三、証人高津三郎の証言により成立の認められる乙第七号証、同第八号証の一ないし三及び右各証言並びに弁護の全趣旨によれば、次の事実が認められる。すなわち、東京国税局長は、昭和五〇年一月二九日付で原告の事業所所在地を管轄する四谷税務署及びこれに隣接する小石川税務署に対し、製本業(印刷物の折り、丁合、綴じ及び裁断等の製本加工)を営む個人の青色申告者で、係争各年につき、<1>年間を通じて事業を継続している者で、かつ、有資格の者、<2>青色申告決算書が提出されている者、<3>収入金額が、昭和四四年は二六九万円以上一、〇七六万一、〇〇〇円以下、同四五年は二四四万八、〇〇〇円以上一、三七九万三、〇〇〇円以下、同四六年は三五二万八、〇〇〇円以上一、四一一万五、〇〇〇円以下である者、<4>更正、決定を行なった者で、国税通則法の規定に基づく不服申立期間又は出訴期間の経過していない者及び当該処分に対し不服申立て又は提訴がされて現在審理中でない者、以上の各要件をすべて充足する者全員を調査対象者として抽出し、その売上金額、接待交際費及び福利厚生費等を調査のうえ、これらを所得税課税事績報告書に記入し、報告するように通達した。これを受けて、前記各税務署の担当職員は、備え付けの所得調査カードの索引簿或は青色申告者書類綴り等を用いて前記要件を充足する製本業者全員を抽出したところ、その調査結果は、別表五の売上金額、接待交際費及び福利厚生費の各欄記載のとおりであった(なお、右表の「四」は四谷税務署管内、「小」は小石川税務署管内の製本業者であることを示す略称である。)。
以上の各事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、既に説示したように、原告は主に軽印刷物の製本加工を業とする者であるが、右認定の事実によれば、前記各税務署管内で抽出された製本業者は、原告と同様の製本加工を暦年を通じて営む個人であり、かつ、原告の売上金額の概ね二分の一から二倍までの範囲内にある者であるから、同種同規模の同業者抽出の基準としては合理性があるし、その抽出は機械的に行なわれたものであるから、抽出に当たって恣意が介在したこともない。従って、同業者の抽出は恣意的であり、経費の少ない者のみを抽出したとの原告主張は失当であるし、また、原告は製本業者の中にも様々な業態があるから、これを一律に論ずることは不合理である旨主張するが、原告の業態の特殊性についてはこれを的確に認めるに足りる証拠はないのみならず、前記認定の軽印刷等を主体とする業態は売上金額基準等により捨象されるものというべきである。さらに、原告は、従業員数を考慮していない点において合理性を欠くというが、既に説示した製本加工の工程に照らすならば、製本業者の収入は労務による付加価値によるところが大きいことが容易に推認されるから、前記の売上金額基準により従業員数の及ぼす影響も捨象され得るものというべきである。従って、原告主張はいずれも採用できない。
そして、抽出された同業者はいずれも帳簿書類の完備している青色申告者で、その申告は各税務署長によって是認されているものであるから、前記の記帳額も一応信頼するに足りるものというべきである。
なお、接待交際費及び福利厚生費の売上金額に占める比率が別表五の接待交際費率欄及び福利厚生費率欄記載のとおりとなること並びに右各比率の平均値が同表の平均値欄のとおりになることは計数上明らかである(但し、小数点以下第三位切り上げ)。
ところで、原告は、右経費率は偏差が大きいから合理的でないと主張するので検討するに、接待交際費については四谷税務署管内の同業者Dの昭和四五年分、福利厚生費については同税務署管内の同業者Eの係争各年分の各経費率は、いずれも他の同業者のそれに比較して著しく低率であることが認められるので、右同業者の右年分については同業者の平均値の中に捨象し得ない何らかの特殊事情が存するものと推認し、これらを排除して平均値を算出するのが相当であるが、他の同業者については、これを排除すべき特段の理由を見い出すことができない。そこで、右同業者を排除して、前同様の方法で算出すると、昭和四五年の接待交際費率は三・〇一パーセントに、福利厚生費率は、同四四年が二・〇九パーセント、同四五年が二・七五パーセント、同四六年が二・二五パーセントになる。
(ウ) 以上の前提に立って、係争各年の接待交際費(前記のように昭和四四年分は除く。)及び福利厚生費を算出すると次のようになる。
(接待交際費)
<省略>
(福利厚生費)
<省略>
(但し、金額は、いずれも小数点以下切り上げて算出)
(3) 昭和四五年分の旅費・交通費及び地代・家賃
(ア) 旅費・交通費
右経費として四一、九七〇円が支出されたことは当事者間に争いがなく、原告は、このほか右経費として昭和四五年四月二八日三〇、〇〇〇円を支出した旨主張する。よって検討するに、赤線枠内部分の成立は前掲証人外山の証言により認められその余の部分については原本の存在及び成立に争いない乙第二四号証の三及びその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第一〇号証の五の五一の中には右主張に沿う記載があり、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、右は、前記武田謙吾が原告方で稼働するに当たっての上京費用(交通費)に充てるための支出であるというのである。しかし、右武田の稼働の事実が認め難いことは既に説示したとおりであるから、右各証拠はにわかに採用し難く、他に前記の三〇、〇〇〇円が原告の事業に関連する経費として支出されたことを認める証拠はない。
(イ) 地代・家賃
右経費として二〇〇、〇〇〇円が支出されたことは、当事者間に争いがなく、原告は、このほか右経費として相馬ほのよに五六、〇〇〇円を支払った旨主張する。よって検討するに、原本の存在及び成立に争いない乙第二四号証の四には右に沿う記載があり、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、右は前記武田が原告方で稼働していた期間、同人の住居に充てるため原告が前記相馬から賃借していた家屋の家賃であるというのである。しかし、右武田の稼働が認め難いことは前同様であるから、右各証拠はにわかに採用し難く、他に前記五六、〇〇〇円が原告の事業に関連する支出であることを認めるに足りる証拠はない。
(4) その他
既に説示したように、係争各年分の交際費帳には他の費目に属するものが混入しているところであるが、このうち厚生費以外の費目に属すると思われるものについて検討する。
まず、昭和四四年分についてみると、前掲甲第九号証及び弁論の全趣旨によれば、同年の交際費帳の三月三日欄に武田謙吾に対する工場視察のための上京費用として一〇、〇九五円の支出が記帳されているところ、右武田の原告方での稼働が認め難いことは前示のとおりであるし、右記帳の時期に就労を予定しての工場視察があったことを認めるに足りる的確な証拠はなく、他に右支出が業務に関連して行なわれたことを認めるに足りる証拠もないから、前記記帳額を経費と認めることはできない。次に、同年七月一九日欄の三五、〇〇〇円の記帳であるが、右支出に沿う甲第一〇号証の四の四〇(出金伝票)及び同号証の四の四一(右支出の一部と思われる飲食費一、〇七五円の領収証)があり、前掲甲第九号証には、右は従業員を上京させるため大阪まで行った際の費用である旨の記載がある。しかし、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、右は従業員の慰安旅行に要した支出である旨の供述があるし、前掲甲第一〇号証の四の四〇には「慰安旅行帰省」と記載してあるところであるから、これらによれば、前掲各証拠によっては、従業員の上京に要した費用とは認め難いところである。なお、仮に、右支出が厚生費に属すべきものであるなら、既に推計により算出されているから考慮すべきものでないことはいうまでもない。最後に、昭和四五年交際費帳の一〇月一四日欄の六八、〇〇〇円の記帳であるが、前掲甲第九号証には、右は従業員の上京費用である旨の記載があり、右支出に沿う甲第一〇号証の二の六〇(出金伝票)がある。そして、原告本人尋問の結果(第二回)によれば右は武田謙吾の紹介により関西方面から神原某を従業員に採用しようとした(結局、採用しなかったという。)際に要した費用である旨供述している。しかし、右金額は、当時としては相当の高額であるのに領収証等は一切ないし、その使途のみならず右神原についても具体的な証拠は何もないのであるから、右支出自体不自然というべく、前掲各証拠によっては原告の主張を認めることはできないものというべきである。
(二) 以上によれば、係争各年の必要経費は次のようになる。
昭和四四年 三、四五一、〇二四円
同 四五年 三、六八六、六五五円
同 四六年 三、九二〇、四五〇円
3 係争各年の総所得金額
以上によれば、係争各年の総所得金額は次のようになる。
<省略>
従って、右によれば、本件各更正はいずれも総所得金額の範囲内で行なわれたものであるから、所得を過大に認定した違法はないものというべきである。
四 以上のとおり、適法な本件各更正を前提としてされた本件各賦課決定に何ら原告主張の違法はないものというべきである。
五 以上の次第であるから、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤田耕三 裁判官原健三郎及び同田中信義は、いずれも転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 藤田耕三)
別表一
(一) 昭和四四年分
<省略>
(二) 昭和四五年分
<省略>
(三) 昭和四六年分
<省略>
別表二 昭和四四年分
一 総所得金額の内訳
<省略>
二1 総収入額算出の根拠
<省略>
<省略>
2 一般経費算出の根拠
<省略>
3 特別経費の算出根拠
<省略>
別表三 昭和四五年分
一 総所得金額の内訳
<省略>
二1 総収入額算出の根拠
<省略>
<省略>
2 一般経費算出の根拠
<省略>
3 特別経費算出の根拠
<省略>
別表四 昭和四六年分
一 総所得金額の内訳
<省略>
二1 総収入額算出の根拠
<省略>
<省略>
2 一般経費の算出根拠
<省略>
3 特別経費の算出根拠
<省略>
別表五
昭和四四年分
<省略>
<省略>
昭和四五年分
<省略>
<省略>
昭和四六年分
<省略>
<省略>